大人になった今、シンデレラから学ぶ「才能」と「行動力」の重要性について
皆さんは、どの童話が好きですか?
白雪姫とか人魚姫とかいろいろあるけれど、僕はシンデレラが1番好きです。
と言うか、最近、ちょっと好きになりました。
子供の頃は、童話で読んだり、ディズニーの映画で見たりしても、特になんとも思いませんでした。
むしろ、「なんか嫌だな」くらいに思っていたかもしれません。
それが何でかっていうと、たぶん、「結局、シンデレラって美人が得をするっていう話じゃん。そうじゃない人間には、夢も希望もない」みたいに思ってた気がします。
まあ、子供の頃から、そういうので感動は出来ない性格だったんですよね。
それでそのまま大人になってみて、あらためて考えてみると、結構、人生において重要なものが含まれてるような気がしたんです。
それが何かって言うと、「シンデレラの行動力と決断力の高さ」なんですよ。
僕らはついつい「神目線」であの物語を見ちゃうから、結果を知ってるから、「お城に行くのが当たり前」だと思ってますけど。
実際、真面目に「シンデレラ目線で」考えたら、なかなかああいう行動は出来ないと思いますよ。
だって、毎日、継母や姉にイジメられてたわけでしょう。
それは自尊心だって傷つくし、出来るだけ外に出たくないと思っても不思議じゃない。
「私なんて・・・」ってなるのが、普通じゃないんでしょうか。
なのに、お城に行って舞踏会に参加したがるって、ちょっとバイタリティ高すぎると思います。
だって、行ったことないんだから、わからないじゃないですか。
招待されてないのに、城に入れるとも限らないし。
姉たちに馬鹿にされるかもしれないし。
王子様に会えるとも限らないし。
見染められるとも限らないし。
それでも、結果的に「行った」ことが、シンデレラの勝因だったんですよね。
別に「美人だった」とか、「王子様の好みだった」とかは、後からくる要因なわけですよ。
それは、たまたまのことで。
だって、舞踏会に行かなければ、可能性はゼロだったわけです。
シンデレラが行かなかった場合は、別の誰かが王子に見染められていたはずで。
もっと言うと、シンデレラの場合はまだ行けたからいいけど、あの国には、「お城に行けなかったもっと逸材の女の子」がいたかもしれない。
「貧乏だから着飾れない」とか、「そもそもその情報を知らされなかった」とか、いろいろ理由があって。
まあ、それは、運ですけど。
そういう意味では、あの舞踏会に参加してた花嫁候補の女の子たちは、みんな運や意志があったわけです。
なんか話が長くなってきましたけど、結局何が言いたいのかっていうと、シンデレラには、「美しさという才能」以外のものもあった、って最近分かるようになってきたんです。
世の中を眺めていると、多くの人が、一歩目を踏み出す前に、「才能という不明瞭なものに帰結しがち」な気がします。
割と早い段階で、「自分は才能無いから・・・」って言う人が多いと思う。
本当に最善を尽くして、自分自身が納得するくらいまでやり切って、受け入れるならいいんですけどね。
僕自身、何かをやめようかと思うたびに、本当に最善を尽くして、自分の中で可能性は無いと思うのか?って、自問するようにはしています。
という事を、最近、シンデレラの物語を思い出すたびに、思うのです。