レクイエム・マイ・ドリーム

日々思ったこと、感じたことを書きます。

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「人間の動物には無い抽象的な思考」と「どうやって人生の進路を決めていくのか」について

人間が、他の動物と決定的に違うこと。

それは、存在しない物事について考える事が出来ることだ。

つまり、抽象的な物事を考える事が出来る。

動物には、「生きる意味」とか、「社会正義」とか、概念的な思考は存在しない。

もっと言えば、「時間」とか「他者との関係」みたいな人間が勝手に作ったものも、動物にはないだろう。

ただひたすら、「どうやって生き延びるか」と「繁殖するか」が、動物にとっての問題だ。

考える事が出来るからと言って、必ずしも答えが出せるとは限らない。

だから、人間はバグる。

「死にたい」なんてのも、人間のバグの一種だ。

普通に考えたら、人間も動物の一種なので、「自分から死にたい」と思うことはあり得ない。

だけど、「就職難」とか「コロナ禍」とか「不況」みたいな目に見えない不安に怯えて、それから逃れるために死んでしまう。

僕は生死に関しては、動物的な方が正しいとさえ思っている。

つまり「どんな状況でも、まず生きるのが当たり前」と思うことだ。

社会的な問題にも、バグは起こりやすい。

「平和とは何か?どうやって実現できるか?」みたいなことを真剣に考え始めたら、誰だって頭がおかしくなる。

だからそういう問題には、無理に答えを出そうとしてはならない。

SNSを見ていると、「自分が出した答えが他人と違う!」とか、「世の中が間違っている!」とさかんに言い合っている人たちがいる。

当たり前だろう。

数学的に言えば、「前提となる条件」も「使っている法則」も、みんな違うんだから。

それで答え合わせをしあって、何の意味があるのだ。

だけど、個人の人生の問題となると、また話は違う。

自分の人生の場合は、何らかの答えを暫定的にでも出して、それに向かって動かなければいけない。

そうしないと、何もせず同じ場所にとどまっているだけになってしまう。

仮に今より悪い状況になる可能性があったとしても、何らかのアクションを起こすことが重要だ。

考えながら動いているうちに、何らかのもっといい策が見えてくる可能性もある。

そういう意味では、考え過ぎて足を止めるのが1番の悪手だ。

周りの恐れなくてもいいものを恐れすぎて、最終的に歩みを止めた人間もいるだろう。

そういう人間が、たぶんニートになる。

もちろん、全てではないだろうけど。

僕はそういう意味では、ニートという人種を「心底嫌い」ではない。

世の中は、ニートを「ただの無気力なやつ」だと決めつけすぎている。

中には、そういうやつもいるだろう。

ただ世の中を無用に恐れすぎているだけのニートには、必ずしもそうではないと思わせればいいだけだ。

少なくとも、盲滅法に何も考えずにやって、失敗ばかりする人間よりはマシだ。

そういう馬鹿には、つける薬が無い。

基本的に失敗から学ばないのだから。

なんだか、話がずれてしまった。

つまり、人間の抽象的概念を理解する能力っていうのは、長所になる場合もあれば、時として弱点になる場合もある。

大事なのは、それをちゃんと理解して生きていくっていうことだと思う。