「過去によって現在と未来を語ることの不満」と「性格は変えられること」について
僕は、過去によって現在や未来の事を語る人が嫌いだ。
そんなもの、ただの目論見に過ぎない。
過去と現在および未来は違う。
過去は、ただの結果の集積だ。
もちろん、過去の結果によって見えてくる未来もある。
受験生なら、模試の結果で受ける大学を決めなければいけない。
勉強やスポーツみたいな、すぐに変えられないものは、過去で語る事には意味がある。
しかし、今すぐ変えられるものについては、過去によって語ることは無意味だ。
僕は「私は根暗なんです」ということを、人前で平然と言うやつが嫌いだ。
そんなもの、「お前が今まで暗かったというだけだろ」と思う。
それで、「変わらない方が楽だ」という判断で、今も暗くあるというだけだ。
本当に明るくなった方がいいと思うなら、「少なくとも大事な人の前だけではする」という判断はするべきだ。
つまり性格だって、本人にその気があれば、いくらでも変えることが出来る。
上辺の対応だけでいいのなら、なおさらだ。
そんなものは後天的に、習得できるスキルだ。
「根本的に明るくなる」はすぐには無理でも。「明るく振舞う」なら出来る。
つまり、過去の結果が未来の予測とつながるとは、必ずしも限らないのだ。
だけど世の中の人の多くは、そうは思わない。
人生に対して希望を失っている人の多くは、「過去にダメだったから、自分は次もダメに決まってる」という勝手な思い込みに支配されていることが多い。
それは「自分はずっと過去の自分と変わらない」と思うからだ。
既に決まった未来なんて、今の時点では存在しないのだ。
そう思っていないと、過去の自分に塗りつぶされることになる。
容姿も頭の良さも身長も国籍も性別も、簡単に変えることは出来ない。
ただ、自分の気持ちは、自分次第ですぐにでも変えることが出来るのだ。