レクイエム・マイ・ドリーム

日々思ったこと、感じたことを書きます。

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「批評することに意味はあるのか」と「作る側に回りたいのなら薦めないということ」について

ネットを見ていると、ありとあらゆる言葉がある。

その中でも1番目に着くのは、「他人がしたことを批評する」ことだ。

別に、それ自体には良いも悪いもない。

認められてる行為だ。

しかし、批評するだけでは、それをした本人に成長は無い。

何かをしたいなら、そこに安寧していてはだめだ。

批評すれば、一見、自分がそれの作者より偉くなったように思える。

そんなのは錯覚だ。

どれだけそれが偉そうで理にかなっていそうでも、批評は「酒飲みながら野球選手に下手くそと怒鳴ってるオッサン」と、あまり変わらない。

ただちょっと、テクニックを覚えて上等に見えるだけだ。

ネットコミュニティの中で、ちょっと知識や批評眼があるやつは、そのアマチュアの中で尊敬されていたりする。

何の意味もない。

僕も経験があるが、サークル等でそこそこわかってる気の合った仲間と「プロの作品を批評してこき下ろすこと」は、間違いなく楽しい。

それがただの暇つぶしならいい。

ただ、気を付けないとそういう行為は「自分は何となくだけど、たぶん出来る」と勘違いさせる。

何者かになりたいのなら、見るのはいいが、上から批評するのはやめておけ。

鑑賞量と知識とそこそこの才能があれば、それらしい批評をこねくり回すことは、割と容易なことだ。

なぜなら、完璧な作品など存在しないのだから。

ネットで何百本も批評文を書くよりも、ブサイクでいいから作品を一つ仕上げることの方が、よっぽど制作者としてためになる。

駄作は明日の糧になる可能性があるが、批評からは何も生まれない。

批評能力を高めたところで、制作する時にそれを実際に使えるかどうかは全く別の話だ。

評論家や編集者みたいに、それ自体を生業にするのでない限り意味は少ない。

麓から山を眺めて、「あそこが難所だ」と言っていることに意味はない。

一歩ずつでも山に向かって登り始めた人間には、登頂できる可能性がある。

そのためには、たった一人、孤独で、誰とも馴れ合わずに突き進む意思が必要になるのだと思う。