レクイエム・マイ・ドリーム

日々思ったこと、感じたことを書きます。

MENU

「読書を薦める理由」と「なぜ読書は流行らないのか」について

最初に言っておくが、僕は生粋の読書家ではない。

ちゃんとした本を読み始めたのは、20代後半のアラサーになってからだ。

せいぜい読書歴は5年位で、その間の読書量も質も、特に人に誇れるようなものじゃない。

そして、僕は本を読まなかったことを、今は後悔している。

本を読むようになって、初めて「世の中にはこんなものがあったのか」とわかった。

子供の頃は、童話レベルの本をめちゃくちゃ読んでいた。

たぶん10歳くらいまでの読書量は、同年代でもトップクラスだったと思う。

なんでかって、小学校でまともに授業受けないで好きな本だけ読んでる頭のおかしい子供だったからだ。

ただ、徐々に読書熱もなくなって、普通の子供に近くなって、いつしか読まなくなった。

20年近く、趣味で読書はしなかった。

その間、僕は何をしていたのか。

友達とゲームをやったり、ネットに入り浸ったり、ギャンブルに手を出してみたりもした。

どれもその時は適度に楽しかったが、今思うとそんなものの快感なんて、僕にとっては屁みたいなものだ。

手軽に手を出せるものに出して、何となくの人生を生きていた。

僕は、僕みたいな人間が増えて欲しくない。

いや、僕は今の自分でも、「自分にとって読書は面白いものだ」と遅ればせながらでも気付けただけ、大分マシだと思っている。

ただ、子供の頃からずっと続けていたらとは言わないが、「もうちょっと早く気付く方法はあったのではないか」とは悔やんでいる。

勘違いしてほしくは無いが、僕は「全ての人は読書をすべきだ」なんて思っていない。

世の中には、そういうことに徹底的に向いていない人もいるだろう。

ただ、昔の僕みたいな「本当は読む素養があるのに、それに気付いていないだけの人」もいる。

そういう人が気付かないのは、不幸だし本当にもったいないと思う。

なぜ自分が読まなくなったのかも、今となっては少しわかる。

まず「今の自分が読むべき本」を探すことを怠っていたからだ。

それを見つける努力をしなかったからだ。

ただ、僕の周りには、そういうことを教えてくれる大人がいなかった。

親もそんなに読んでいなかったし、本棚には読みたいと思える本は無かった。

だから、自力でどうにかするしかなかった。

また、世の中には「読書を邪魔するような手軽な娯楽」が多すぎた。

読書の本当の味を知らない僕には、そっちの方に流れるのが自然だった。

ちゃんと読書をするには、そういう「誰でもできる娯楽の誘惑」を全て断ち切らなければ集中できない。

まあ、全てはただの言い訳だ。

もっと早く気付いていれば、おそらく僕の人生はもうちょっとマシに生きられただろう。

状況が変わるのではなく、気分の問題だ。

辛い時でも気持ちを強く、彩を持って、余裕をもって生きられたのではないだろうか。

別に今までの分を取り返そうなんて、思っちゃいない。

これからの人生の糧にすれば、それでいいと思っている。