「ニートに対して思うこと」と「自分の人生の尊さ」について
ニートが増えている。
2020年には過去最多の87万人になったという。
みなさんは、これを聞いてどう思うのだろうか。
僕は、正直に言ってどうでもいい。
もちろん僕も、ニートが好きかどうかと聞かれたら、好きではない。
働かない上に、働く気もないのだから。
「じゃあ、ニートの何が悪いの?」と問われたら、僕には答えられない。
それは紛れもなくそいつの人生であって、僕の人生ではないんだから、それを変えようとする義理もない。
ただ、引きこもった人生には、「自分自身で得たもの」が何もないことは事実だ。
いかにテレビも見て世の中の事を知った気になっても、ネットに書き込んで何かをなした気になっても、そんなものは無価値だ。
何度でも言うが、僕は「だから、外に出ろ」なんてことは言わない。
世のしたり顔の大人は、「外の世界に出たら楽しい。いい事がある」みたいな嘘を、平気で言う。
だけど大人は、ニートを部屋から出すために、自分たちですら本当は思っていない嘘を平気で言う。
だから、ますます周りを信用できなくするのだ。
そんなもの、嘘に決まっていると、誰でもわかる。
そこそこの年齢になれば、「そんなことが世の中にあるわけがない」ことくらい、誰でもわかる。
はっきり言って、世の中にはつらい事や嫌な事が多い。
いい事よりも、絶対に嫌だなと思うことの方が多い。
ただ、マイナスを恐れていたら、プラスも得られないのだから、仕方がない。
失点を恐れていたら、得点の機会すらないのだ。
引きこもるという事は、プラスもマイナスもないゼロだ。
それで本人がその人生に納得するなら、それでもいい。
ただ、何となく「働かずに遊んで生きていけて最高じゃん」と思っているとしたら、大間違いだ。
苦しみもないが、心からの喜びを得る機会も失っている。
そのことに気付いた時に、絶対に後悔するはずなのだ。
「いつまでも あると思うな 親と金」という言葉がある。
半分正解で、半分間違いだ。
親は、絶対にいつかなくなる。
金は、なくなるかどうかわからない。
失った以上の金が入ってくる可能性だってある。
本当に絶対に無くなるのは、親と時間だ。
何をしたところで、自分の生きることが出来る時間だけは、確実に失う。
だからこそ、自分の人生は尊い。
なので、人生を無駄にしているニートには、単純に腹が立つのだ。
他人のことだから関係ないとは言え、蛇口の水を無意味に出しっぱなしにしてるのを見ると、気分が悪くなるのと一緒だ。
僕は、自分の人生を一瞬でも、無駄にしたくはない。
長く生きたいとは思わないが、「何もなかった」と死ぬときに思うような人生にしたくない。
ただそのためだけに、ずっと何かを探し続けるのだ。