レクイエム・マイ・ドリーム

日々思ったこと、感じたことを書きます。

MENU

「松本人志に会いたいか?」と「お笑いの自主練習方法」について

僕は松本人志が大好きだが、基本的には会いたくない。

僕が好きなのは「松本人志の面白さ」であって、「松本人志本人の全て」ではない。

だから、ワイドナショーでちゃんとした話題(政治や戦争など)について、真面目に語っている松ちゃんを嫌いではないが、そのこと自体に全く興味がない。

松ちゃんの、過去も家族もプライベートも趣味も、はっきり言ってどうでもいい。

それを面白おかしく語ってくれるから好きなのであって、そのこと自体は興味がわかない。

だから、松ちゃんに会うにしても、ただ会うだけなら別にいらない。

新幹線などで偶然乗り合わせて、握手したりサインしてもらったり写真を撮ってもらったりなんて、全くしてもらいたいと思わない。

それなら、テレビで見てる方がいい。

何か面白いことを言って僕を笑わしてくれるとか、僕の培ったお笑い論みたいなものを合ってるか聞けるなら、会ってみたい。

たぶん野球がめっちゃ好きな人も、大谷翔平に会いたいとは特に思わないだろう。

会ってちゃんと話が出来るとか160キロの球を投げてくれるとかなら、別だろうが。

あまり関係ないことだが、昔、松本人志が「お笑いはテレビ見ながらツッコんでるだけでも練習になる」と言っていた。

正論だ。

別にNSCに入らずとも、そういうお笑いの鍛錬は出来る。

そういうやり方をすれば世の中の全てが大喜利みたいなもので、「自分でお題を作って答える」のだから。

ただ、それが出来るのはある程度のお笑いの習熟者だけだろう。

大喜利というのは、明確な決まった答えというのがない。

だから1人でそんなことをやっていても、センスのないやつは一向に進歩しないだろう。

自分で思いついた大喜利の答えなんて、自分で採点を付けたら面白いとなるに決まってる。

つまらない大喜利の答えを出すやつは、その答えがつまらないと気が付くまでそれを出し続ける。

大喜利の面白い人は、面白い答えだけを思いつくわけじゃなくて、つまらない答えを瞬時に切り捨てる。

それがちゃんと出来るようにならないと、いくらお笑いの自主練習をしても、意味は無いだろう。

筋トレなら負荷を与えればどんなアホでも筋肉がつくが、お笑いの筋肉はそうではない。

例えるなら、将棋の藤井君レベルなら頭の中で詰将棋をしてるだけでも勉強になるだろうけど、駒の動き方もロクにわからない初心者が、いくら適当に動かしても無駄なだけだ。

そういうレベルの人は、ちゃんと自主練できるくらいになるまで、他人のものを見たり、他人に採点してもらわなければいけない。

「最初からセンスがある人」はその過程をすっ飛ばして、自分1人で面白くなれる。

そういう人には、世の中の全ての事がお笑いのチャンスに見えるのではないだろうか。

ただ、これをやり始めると、たぶんお笑いを純粋な目では見れなくなる。

「自分ならこうする」を延々と考えるとは、たぶんそういうことだ。

世の中には、お笑いを極めようとするそういう人たちが、存在するのだろう。